サバゲーを歴史から学ぼう!第二弾です。
前回、戦後〜1970年代のところまでをお伝えしましたので、今回は1980年代のお話。
アメリカでペイント弾を撃ち合う「ペイントボールゲーム」と言う名目を、ある雑誌が記事で「サバイバルゲーム」という名前で日本に紹介したことがきっかけで、「戦争ごっこ」が「サバイバルゲーム」として確立されました。
トイガンで遊ぶ「〜ごっご」から「サバイバルゲーム」と総称が変わり、日本では独自のルールが作られ始めました。この辺りからサバイバルゲームにモデルガンで参加するいわゆる「バンバン!」と音だけでごっこを楽しむ子供たちが少なくなり、弾が出るタイプを好む人とリアルさを楽しむタイプとでの二極化が始まります。
モデルガンのリアルさと、撃った弾が飛んで行くトイガン。ミサイルロケットや手榴弾、爆竹などの音アイテムの使用も混じりながら、徐々にその二極化は進んで行くのです。
そして、”着弾=当たり判定”、今で言う「ヒットコール」なるものが勝負のジャッジになるようになり、コッキングガンにはパワーと連射が求められ、ハンドガンタイプだけではなく長物のライフルタイプも登場し始めます。
〔引用〕ワルサ—P38 by amazon.co.jp
〔引用〕http://www.hyperdouraku.com/blog/2013/06/20/rg-ss9000/ by ハイパー道楽
1985年には革命的なエアガンが登場し、サバイバルゲーム界に衝撃が走ります。
JACとアサヒファイアーアームズ共同開発の「バトルマスター」は日本初の本格的フルオートガスガンで、手動式のコッキングガンが主流の中、連射(フルオート)と言う火力差を生み出したのです。
〔引用〕http://www.hyperdouraku.com/blog/2013/07/25/rg-jac_battlemaster/ by ハイパー道楽
それを追うように、現ウエスタンアームズ社から初のセミオートガスガン「AR−7」、MGCから「ベレッタ93R」が発売され、エアガンは本格的に「ガスの時代」へと突入していきました。
そしてついにそれまで対立していた「ツヅミ弾派」と「BB弾派」に、淘汰の波が押し寄せます。
Vol.1でも書きましたが、勝者は球体である「6mmBB弾」でした。
最大の理由として、適度に重量があり硬いBB弾は風の抵抗に強く、その特性上、発射時に「HOPUP」と言う逆回転をかけることでその飛距離を伸ばし、一気にエアガンの性能を向上させることになりました。ちょっとした横風にも弱かった「ツヅミ弾」より「BB弾」の方が弾道の直進性を高く評価されたのです。
しかし、サバイバルゲームに用いるトイガンの主役がガスガンになりつつある中、 連射できるガスガンに対してコッキングガンはパワーで勝負とばかりに、度を越えたパワーアップが横行し始めます。
悲しいことに、桁外れのパワーを引き出すことで一種の社会問題にもなりましたが、現在のカスタム銃の原型はこの時代から形成されていたのでしょう。
Vol.3へつづく⇒